Profile
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岡山一成 (オカヤマカズナリ) 大阪府堺市出身 1978年4月24日生まれ血液型O型 186cm 76kg 所属チーム: ベガルタ仙台 経歴: 1984〜 堺市立赤坂台小学校 / 1990〜 堺市立赤坂台中学校 / 1993〜 初芝橋本高校 / 1996〜 横浜Fマリノス / 1999 大宮アルディージャ / 2000 横浜Fマリノス / 2001 セレッソ大阪 / 2002〜 川崎フロンターレ / 2005 アビスパ福岡 / 2006 柏レイソル / 2007〜 ベガルタ仙台 |
小学校時代はFWで堺選抜。1つ年下の稲本潤一(現ガンバ大阪。日本代表)と同じ地区で、この時代が彼のMAXである。ずば抜けたヘディングはこの頃から健在で、信じられないとは思うが足技も冴えていた。
当時は稲本など比ではなかった。今となっては… <
中学校時代はMFで堺選抜に選ばれる。しかし、この時代は背が伸びず彼にとっては闇の時代であった。
高校に入ると急激に背が伸び始める。高校2年時には、吉原宏太と2トップを組み、高校選手権出場。吉原宏太が大会得点王になる活躍で、ベスト4進出。国立のピッチに立つ。大会終了後、何故だか分からないが、優秀選手に選ばれる。これは今でも謎である…
高校卒業後、単身韓国に渡り、韓国社会人リーグに所属する。また、テレビ東京のアサヤンのJリーガーオーディションで最終審査まで行くが…
紆余曲折を経て、ついに練習生として横浜マリノス(当時)と契約。Jリーグ初出場から3試合連続ゴールで一躍脚光を浴びる。この時期には、プリクラにも登場。
しかし、出場機会に恵まれず半年間のレンタルで大宮アルディージャに移籍。その後、マリノスに復帰。今シーズンは、DFへコンバートされて、リザーブとしてたまに出場。
オリンピック代表を目指し現在奮闘中。
<以上 幼馴染 ラガーHIROKI談>
が、一度も選出されぬまま、オリンピックも終了。
2000年Jリーグファーストステージで優勝するも、チャンピオンシップで鹿島アントラーズに破れ、涙を飲む。彼自身も第一戦のロスタイム寸前にFWとして投入されるが、惜しいチャンスを阻まれ、ヒーローになり損ねる。
2001年1月。FWでの出場機会を求めて新天地、ていうより地元大阪のセレッソに移籍。
気持ちを新たに日本代表での2002年W杯のピッチを目指し現在奮闘中。
<以上 2000/1/30 追記 アニ>
が、全ての歯車が空回りした挙句、2001年12月にセレッソから契約外通告。 大晦日に友人数名を赤坂に呼び出し、翌日に控えたセレッソ最後の試合となる天皇杯決勝の観戦を強要。しかし、サッカー人生の大一番となるこの試合で奇跡的に大活躍し、数チームからオファーを受ける。
2002年1月、新天地川崎フロンターレに移籍し、気持ちも新たに再びW杯のピッチを目指す。
が、一度も代表候補にすら選出されずに2002年のワールドカップも終了。アイルランドVSサウジアラビア、ブラジルVSトルコ戦を観客席から観戦して大ハシャギする。
性懲りもなく今度は2006年のW杯を目指し、川崎フロンターレにて現在奮闘中。
<以上 2003/4/26 追記 アニ>
が、J2の2003年シーズンは混沌とした首位争いの上、わずか勝ち点1差に泣き昇格を逃す。オカヤマ本人は、主に後半途中からの守備固め要員として、コンスタントに試合に出場。マイクパフォーマンスを覚える。 第3クールのアルビレックス新潟戦敗戦後に新潟サポが歌った「J1へ行こう〜♪」が余程悔しかったらしく、第4クールの新潟戦勝利後に、同歌を場内マイクで大声で歌い返して、新潟サポから大ブーイングを浴びる。
とりあえず2006年W杯は据え置きのまま、当面の目標をJ1昇格に切り替え現在奮闘中。
<以上 2003/12/04 追記 あに>
が、2004年シーズンは怪我とチーム事情によりほとんど出番の無いままシーズン終了。その間チームは順調に勝ち星を重ね見事にJ1昇格も、本人はレンタル移籍により新天地アビスパ福岡にてJ2残留。
2005年シーズンはFW起用もまたしても全てが空回りして不発。それでもチームは無事にJ1昇格。シーズン途中にはサポーターに潰した空き缶を投げ付けられキレ芸を覚える。危ないからモノは投げちゃダメ。
2006年、「昇格請負人」という不本意なフレーズと共に、フロンターレ時代にお世話になった石崎監督率いる柏レイソルへレンタル移籍。 DF起用もCKでのヘディングを覚え、何故か得点を量産。調子に乗って2年ぶりにマイクパフォーマンスの封印を解く。
2010年W杯を地味に目指しつつも、当面の目標をチームと自分のW昇格に据えて現在奮闘中。
家購入は保留中。
<以上 2006/06/20 追記 あに>
2006年シーズンはDFとして出場しながらもFW起用時をはるかに凌ぐ10得点をあげ、見事に柏レイソルのJ1昇格に貢献し、悲願の石崎監督の胴上げに参加。オフには川崎フロンターレから柏レイソルへ完全移籍を決め、念願の社台ファーム来訪など充実した冬を過ごす。
しかし、2007年シーズンに入ると出場機会が激減したため、ベガルタ仙台へ志願してのレンタル移籍。4年連続昇格を決めてギネスブックに申請する。と意気込んでの移籍だったが、惜しくもJ1昇格を逃す。この2007年シーズン中には、2014年のワールドカップを意識してブラジルへ興味を持ちはじめ、プロサッカー選手としてのキャリアを積み始めた思い出の地「横浜」にオーナーとしてブラジリアン・バー「barracao da mocidade (青春のバラック)」をオープン。オフに来店し大はしゃぎした挙げ句、グラスを割りまくってオーナーにも関わらずスタッフからブーイングを浴びる。
2007年オフには柏レイソルからベガルタ仙台へ完全移籍。日本代表へは脇目もふらず、2年越しのJ1昇格へ向けて全力疾走。勝利試合後のパフォーマンスも刀を振り回す等、ユアスタの雰囲気に飲まれ大幅にエスカレート。さらには、「飽きた」の一言で約2年間閉鎖してきた自身の公式HP「オカヤマガ行ク!」を再開を決意。再開後のキーワードは”青春に関する全て”。乞うご期待!
<以上 2008/06/10 追記 あに>


